こんにちは。サイト運営者であるおばけのまふりーむです。
「まふりーむ」という名前は、マシュマロが好きそうなふわっとした見た目、人懐っこい性格、夢を持っている、この3つを上手く融合させてこの名前が生まれました。
運営者自身は現実で人懐っこいわけではありませんが、ネット上では親しみやすさをもってもらえるように、居心地の良いサイトとなるように頑張ります。
この記事では運営者の生い立ちや想いについて書いています。
ゲームとの出会いと楽しかった時間(幼稚園・小学生)
初めてゲームと出会ったのは幼稚園の誕生日でした。
誕生日プレゼントとして、ニンテンドーDSとワンピースギアスピリットというカセットを貰いました。とても面白くてのめり込んで遊んだことを覚えています。
晴れの日は友達と外で遊ぶ、雨の日は友達とゲームをして遊ぶといった感じで、とにかく遊びまわっていました。

遊び疲れて夜ご飯を食べたらすぐ寝ていたよ
小学校に上がり転校を経験します。
初めは友達作りに苦労しました。しかし、地元のサッカークラブに入ってからは友達を増やすことができました。
休日は友達の家に行きマリオカートで遊んでいました。キャラクターはキングテレサを選択し、車はトリッキーです。
当時はキングテレサを無意識に選択していましたが、無意識に選択する理由は好きだったからだと今では思います。トリッキーはかっこよかったから選択していました。



おばけ生誕に大きな影響を与えたキャラクターだよ!
小学校時代の友達との楽しい時間は今でも鮮明に思い出せます。今までの人生で一番楽しい思い出が詰まっているのは小学校のこの6年間です。
ここから先は自分にとって苦しい時期に突入します。
出口の見えないトンネル(中学生)
中学校に上がる前に再び転校します。ここから歯車が狂い始めました。
中学校1年生の終わりごろから学校に登校する前に腹痛が止まらなくなり、学校にいる時間も腹痛に悩まされるようになりました。
腹痛以外にも動悸や手汗が止まらなくなる症状も現れ、心身共に疲弊していきました。
腹痛が主な症状だったため内科に行きましたが、原因がはっきり分からなかったです。



自分でもどうしたらいいか分からなかったんだ・・・
放課後の部活動と休日は症状が治まっていました。なので、学校に行かなくていい長期休暇は、心のオアシスとなっていました。
休日は部活終わりに友達の家に集まり、スマブラをして遊んでいました。ソニックを好きで使っていました。
お菓子を食べながら夕方ごろまで遊んでいました。
家では3DSのウイニングイレブンで遊んでいて、初めて遊んだタイトルはウイニングイレブン3DSoccerです。
ここからサッカーゲームに夢中になりました。
出口の見えないトンネル(高校生)
高校は県外の高校を受験しました。
環境を変えることで苦しんでいる現状を変えられるかもしれないと思ったからです。
しかし、環境を変えても症状は変わらず辛い日々を送っていました。消化器内科に通い始め病名が判明します。IBS(過敏性腸症候群)でした。
薬で自分をごまかしながら生きていましたが、2年生の新学期から保健室登校になり7月に退学することにしました。



友達に何も言わず学校を辞めたよ
8月から通信制高校に通います。
自分で時間割を組むシステムだったので、なるべく負担がかからないように3時間目以降に授業を組みこんでいました。
親から部活動をやらない時間を何かやれと言われ、アルバイトを始めました。アルバイト先はファストフード店です。
忙しすぎて泣きそうになりながらハンバーガーを作っていました。
アルバイトで稼いだお金はスマホゲームに使っていました。タイトル名はアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(デレステ)と幻獣契約クリプトラクトです。



自分の心の支えになっていたゲームだよ
家庭用ゲーム機からスマホゲームに乗り換えた理由は、スマートフォンを持っていれば無料で遊べるからです。
家庭用ゲーム機はゲーム機本体とカセットのお金が必要になります。
スマホゲームは遊んでみて合わないなと思ったら簡単に辞められるので、手軽に沢山遊べます。
その中で面白いと思ったゲームを今でも続けているわけです。



デレステやイーフトはダウンロードしてからずっと遊んでいるよ!
出口の見えないトンネル(大学生)
心理学を勉強して自分が苦しんでいる理由を明らかにしたいと思い、一浪して大学に進学します。
アルバイト先はゲームセンターです。自分の好きなことに関わってみようと思ったからです。
大学でもIBS(過敏性腸症候群)に悩まされます。ゼミの先生の紹介を受けて心療内科を受診しました。



病院内に流れるオルゴールの優しい音色に涙ぐんでいたよ
心理士さんに心理検査を行ってもらい結果は適応障害でした。
自分の心を理解するために心理学を専攻したものの、自分が心理士さんに助けられる側になってしまいました。
心の支えになっていたのはゲームセンターのアルバイトです。
色々な景品を見たり触れたりできるのは店員の特権です。お客さんが景品を獲得して喜んでいる姿を見ることがとても嬉しかったです。



常連のお客さんに顔を覚えてもらったり、コミュニケーション能力も向上したよ!
大学に入ったら何か挑戦をしたいなと思っていたので、ブログを始めます。
自分の遊んでいるゲームの日記のような形でイベントの感想やガチャ結果を書いていました。
お金などは一切発生しませんでしたが、自分がどのようなゲームをしていてどんなことがあったのかを記録として残すために定期的に更新をしていました
当時のブログはこちらです。のくたんの日常



ブログを始める最初の一歩をここで踏み出したよ
卒業が近づくにつれて、この先どうやって生きていこうかと悩みます。
ゼミでは内定決まったというような声が聴こえる中、自分は就活をしないで卒業に向けて単位を取ることに集中しました。
無事に留年することなく卒業することができました。
トンネルの中で悟った真実(フリーター)
卒業後は引き続きゲームセンターのアルバイトをしながら、どうやって生きていくか考えます。
このままアルバイトを続けるわけにもいかないので、就活のアプリをダウンロードしました。
オンライン説明会に参加したり、会場に足を運んで話を聞きにいきました。
しかし、心のなかでひっかかっている自分を感じます。
学校という誰しもが通る道でこれだけ苦しんできた人間が、その延長線上に存在する社会のレールで適応できるわけないじゃないかと思ったからです。



社会のレールってなんのためにあるのだろう?
追い打ちをかけるように適応障害の症状が悪化し、あなたは鬱状態ですと診断されました。
片側の瞼の痙攣や言葉が上手く出てこない、乾いた咳が止まらない、めまいがするというような症状が日常的に現れました。(現在も通院中です。)



頑張って生きているだけでどうしてこんな目にあってしまうのだろうと思ったよ・・・
「死ぬ気で頑張れ、死なないから」という言葉を心の中で唱えながら頑張っていましたが、感情がなくなってしまいアルバイトを辞めます。
たった一人の決意表明
アルバイトを辞めてから再びどうやって生きていこうかと考えます。
何もやる気が起きない日々、ゲームをしていても感情が湧きませんでした。
集団行動が苦手で、社会のレールに沿って生きられない自分。だったら、真逆の生き方をしてみるしかないと思いました。
単独で行動し、自分でレールを作って生きるということです。
家の中で作業が出来るような状況になり、自分が好きだったゲームと大学時代に書いていたブログを掛け合わせて挑戦しようと決めました。



自分の道は自分で切り開くんだ!
本とユーチューブを活用して勉強をしました。ただひたすらに必要なことを勉強しました。
そして出来上がったのがこのサイトになります。世界観と個性を上手に表現できています。
やっとスタートラインに立てたという思いです。
ゲームを通じて人の役に立ち、自分の人生を変えられるように頑張ります。



よろしくね????